Mitrasphere Phiar's Soliloquies

フィアについて | 始まりの物語 前編

フィアについて | 始まりの物語 前編

始まりの物語 前編

「行ってらっしゃい。」

 店の入り口から荷物を持って出掛けていく義母の背中に少女は声を掛けた。とある村にある小さな薬局、それが少女の住んでいる家だった。出掛ける背中を目で追いながらも再び少女は手元の魔導書へと視線を戻す。小さな村であるため、頻繁にお客さんが来ることはない。来るとしても見知った顔ばかりだ。それ故、義母が山へ薬草を摘みに行く間、14歳の少女はこうして店番を任されているのだ。
 少女の名前はフィア。2年ほど前に魔術の才を見出され、それから元魔導士だったらしい義母の下、義母の持ち物である魔導書で魔術の勉強を始めていた。修めようとしている魔術は治癒。対象者の自然治癒能力を高め、怪我や病気を治すことのできる魔術だ。現在は薬剤師であるエリーからすれば、薬の力で怪我や病気を治す道を選ばなかったことに僅かに暗澹とした気持ちもあったが、こうして魔導の道に進む事をよしとしていた。

「………」

 少女は魔導書を読み進めていく。

 なんでも、本当のお母さんは優秀な聖導士でありながら魔導士でもあったらしい。あたしがその血を引いている訳だから、魔術の才があったとしても不思議じゃないよね。…お母さんにお父さん、どんな人だったんだろう。

 少女は想像を巡らせる。詰まるところ、少女は自分の本当の両親に会ったことがないのだ。義母であるエリーは産みの親であるクラリスの妹、つまり叔母に当たる存在だ。フィアは赤子の頃、エリーに預けられ、育てられてきた。フィアにとってはエリーこそが母親に当たる存在なのだが、それでも本当の両親への情念は尽きない。なぜ預けられたのか、なぜいなくなったのか、その答えはエリーでも分からないことだった。ただ、彼女が言うには、やらなければならないことがあった、それに巻き込むわけにはいかない、そんな覚悟のような気持ちが姉さんから感じた、と言うのだ。
 しかし、それから14年。未だに両親は現れない。

「…でも、うん。お義母さんも引き止められなかったって言ってたし…なにか、大切なことがあったのかな。」

 自分のことよりも大切な何かと言うものが少女の心に小さな棘として痛みを伴わせるが、自分には義母がいると、納得はしていたし、それについて本当の両親を恨んだりしたこともなかった。

「いつか、会えるといいな。」

 うわごとのように少女は言の葉を紡ぐ。いつの間にか、今日読み進める予定だったページを過ぎていた。少女は魔導書を閉じると店のカウンターにある椅子に腰掛けたまま伸びをした。母親と同じらしいスカイブルーの髪が靡く。閉じた魔導書を机の上に置いてふと壁に掛かった時計を見上げると、時計の針は義母が帰宅する時間を指していた。

 ――バタン、と。
 瞬間、店の扉が勢いよく開かれた。そこにいたのはよく見知った近所のおばさんだ。普段からそんなに慌てる人ではないのだが、なにやら様子がいつもと違っていた。

「あ、ポプラおばさん。いらっしゃいま――」
「山で魔物が出たって!エリーさんが薬草摘みに行ってるって本当かい?」
「え…?」

 挨拶は言い終わる前に遮られた。
 質問に答えることもせず、少女は血相を変えて立ち上がるとポプラおばさんの横を走り抜けていった。答えずとも、今の反応を見れば誰の目にも分かるだろう。

「こうしちゃいられないわ!」

 飛び出すフィアを追い掛けるようにポプラおばさんもまた外へと駆け出していった。



「っ……!」

 少女は走る。
 店を出たフィアはいつも義母が向かっている山側の出口に向かって疾走する。山側の出口には自警団と呼ばれる年齢の若い村の男たちと、それを指揮する傭兵の姿があった。魔物が出たと言うのは本当なのだろう、緊迫した空気が流れている。

「はぁっ、はぁ…おか、お義母さんが山に…!」

 切迫した表情を浮かべながら息を切らし声を絞る少女の言葉をその場にいた自警団の誰もが聞き、周囲にどよめきが走る。なぜなら、山には魔物など住んでいないのだ。実際、この少女が物心付いた時から魔物による被害なんて聞いたことがなかった。何かあった時のための自警団だが、基本的に魔物と相対したことのある経験者は少ない。しかしそれも、山側で魔物に遭遇したのではなく、他の村や街へ移動する為の街道に続く道の方での話だ。やはり、山側での魔物騒動は今回が初めてなのだ。
 その言葉を聞いた傭兵がフィアの肩に手を置く。

「そうか…。俺たちに任せておけ、今から隊を組んで山に向かう。」

 傭兵とは言ってももう長いことこの村で雇われており、村人からの信頼も厚い実力者だ。魔物との戦闘経験もあり、彼が指揮する事によって村の自警団も安心して行動する事ができる。しかし、全身で感じるよく分からない嫌な予感が少女を心を焦りに突き動かしていた。

「それじゃ遅いの!あたし、先に探してる…!」

 傭兵の手を振り払うと一目散に少女は山道を駆け上がっていく。本当の両親もいない、ここで育ての親にまでなにかあったら…、そう思うと無理もない判断だった。傭兵は舌打ちする。今のは無理にでも止めておくべきだったと。

「くそ、隊を組むのはなしだ。俺は今からフィアを追う。自警団は三人一組で行動しろ。年寄りや女子供は全員建物の中に隠れさせろ!犬型の魔物だったか…もし見つけたら大声で叫べ。自警団全員でそこに集まれば犬型の魔物なら人数差で一度逃げるはずだ!くれぐれも単独行動をするなよ!」

 傭兵は自らのエモノである大剣を軽々と持ち上げるとフィアの後を追った。切迫している少女の背は早い。傭兵も普段から山道を歩いたりなどしておらず、この村で最も山に詳しいのはエリーの次にあのフィアだろう。恐らく彼女だけがエリーの居場所を正確に把握できる。薬草が生息する場所など、あの二人以外に知らないのだから。
 傭兵も自警団に指示を出した後、遠く離れようとしているその背中を追っていった。



 ウォオオオオオオオン――!

 遠吠えが響き渡る。それと同時に山がざわめく。鳥や動物たちがその遠吠えから離れるように逃げていくのだ。

「今の…!あっちの方…!」

 遠吠えのする方へとフィアは疾走する。遠吠えによって動物たちと同じように逃げ出したくなるような恐怖を抑え付け、重たい足を前へ前へと進める。しかし、それでも…眼下に広がる光景に少女はその足を止めてしまった。

「なに、これ…」

 魔物と言う存在は知っているし、本でも見たことがある。でも目の前に広がる光景は自分が知っている魔物が引き起こしたようなものではない。そもそも、こんなことができるのが魔物なのかと、戦慄したのだ。
 眼前に広がるのは炎ではない別の何かによって黒く灰になった木々。クレーターのように抉れた地面。木々が覆い茂っていたはずのその空間は周囲30mほどの焼け野原のようになっていた。そしてその向こうに見える巨大な獣。

 ――それは後に、ペフンと呼称されることとなる通常の魔物とは一線を駕した個体である。

「っ…」

 震える身体、当然だ。なにせ、目の前にいるあれは、死だ。
 あらゆるものを死なせる化身だ。

 気を抜いたら意識ごと落ちるかと言うほどの恐怖。立っていることも侭ならず、少女は糸の切れた人形のように、ただ無抵抗に、その場にしゃがみ――

「…!」

 不意に、足に力が入った。少女には見えてしまったのだ。その巨大な魔獣のさらに向こう。1本の木にもたれ掛かる義母の姿を。



 立ち止まったその足が再動する――死に向かって動く。

 近付いたら死ぬ、手を出したら死ぬ、声を出したら死ぬ、動いたら死ぬ――死ぬ!


 分かっている、分かっている、分かっている、分かっている!
 巡る思考が煩い、心音が煩い、――煩い煩い煩い煩い!



「うわああああああ――!!」

 全てをシャットアウトするように渾身の一声をあげて走り出す。その手に宿るのは光の魔力。収束、収束、収束――。こちらの渾身の雄叫びに見向きもせず、その魔獣は目の前の餌に夢中だった。そんなことは、させない…!

「レイッ…サージ!」

 渾身の力で収束した光の魔力を開放する。
 主の呼び声によって放たれた光の魔弾は輝きを放ちながら宙を舞う。それは弾丸のような速さを持って魔獣の頭部を捉えた。光弾が爆ぜる。バチンッ!と言う衝撃が周囲を震わせる。

 ―――?

 だが、未成熟な力しか持たない少女の魔術など、この魔獣には効かなかった。いや、それでも、魔獣は振り向いた。こちらを振り向いたのだ。今のうちに、今のうちにお義母さんが逃げられれば…!
 そう思う最中、魔獣と目が合う、ただそれだけで…

「かはっ…」

 息が詰まる、呼吸ができない。確実な死。これから死ぬのだから呼吸をする必要がないと判断したのだろうか。意識が保てない。――でも、まだ…やることが…!

「逃げて、お義母さん…!!」

 息もできないのに声を上げる。自分でもどうやったのか分からない。身体はもう動かない。動かないのに無理矢理動かしたんだ、もう動くはずもない。できることはやった。だからこそ、もう動けない。死が近付いてくる。ゆっくりと確実に。グルル、と唸る声が聞こえる。近付いてくるとよく分かる。あたしは、こんな大きい魔物に挑んだのかと。

「―――…」

 恐怖で薄れ往く意識の中、目の前の魔獣を見上げる。断片的に、魔獣が振り上げる前足が見える。あれに引っ掻かれたらそれで終わり。死んで終わりだ。

 振り下ろされる切っ先。瞬間、少女の身体は軽々と宙を舞い、地面へと落下した。どれだけ飛ばされただろうか、皆目見当が付かない。だが身体は動いた。少し温かく、重たいが――身体は動いたのだ。

 少女はゆっくりと目を開ける。



「ぇ……ぁ…」

 そして気付く。先ほどまで木にもたれ掛かって倒れていたはずの義母が自分を覆い隠すように倒れていることに。――感じる温かさは…

「あ、あっ…お義母さん、お義母さん!血が、血…あぁ…やだ、ヒールレイ…!ヒールレイ…!」

 傷を癒すはずの回復魔術を唱える。だが、出血は止まらず、傷も治らない。一般的な回復魔術は対象の自然治癒能力を高めて傷を癒すものだ。つまり、怪我をした当人が自分の力で治せないような怪我は自然治癒能力を高めたところで無意味なのである。

「……フィア、逃げなさい…。今ならまだ間に合う…」

 大量の出血で動けないはずの…普通なら動けないはずの義母はそう言って立ち上がった。よろりと、今にも地面に倒れそうな様子で、彼女は魔獣の前に立ちはだかった。フィアも軋む身体をなんとか起き上がらせ義母の背中を見つめる。その向こうにはゆっくりとこちらに歩み寄ってくる魔獣がいた。

「全く。引退してから魔術を使うことになるとは…思わなかったわね…」

 弱り切った身体でエリーは嘆息する。
 昔は自分も冒険者だった。姉さんと旅をしたこともあった。その時修めた魔術でこの子を護れるなら、私の冒険者人生も決して無駄ではなかった。もちろん姉さんに置いていかれた時は悔しかったし、悲しかったけど…でも、ここで姉さんの子を…いいえ、フィアを護れるなら私は…!

「さあ、フィア走って!」

 義母の背中を眺めるフィアを叱咤する。
 普段声を荒げることなどない義母のその言葉に、フィアは痛みを堪えて立ち上がると義母に背を向けて走り出した。もちろん、それを逃すほど魔獣も甘くはない。追い掛けようとエリーを飛び越えるべく走り出したその刹那――

「バニッシュメント!!」

 エリーの掛け声と共に薄黄色の輝き纏った巨大な光の柱が魔獣を包み込み、圧倒的な圧力を以って地面へと叩き付けた――!





以上、始まりの物語 前編でしたー!
文章力が行方不明(最初からない)
後編はまたいつか!

最終更新日: 2018/04/20(Fri) 16:19:16